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2006年5月14日 日曜日

日曜特別版・10年後

 10年後について、意見を聞かせてと頼まれた。イヤな予感がした。未来なんて予測しても、ほとんど当たらない。これは店主のつたない経験でもすぐにわかる。
 しかし、それでも言えという雰囲気が漂いはじめたので、仕方なく自分の十年後を想像してみることにした。
 未来を想像してみると言う事は、簡単に言えば、現在と過去を検証して、その延長線上に何があるのかを、書けばいいと言う事に他ならない。

以下、コメントに続く

投稿者 店主 : 2006年5月14日 19:49

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10年後について・続き

1.仕事(例・JR東日本の多発する事故の原因)
  これは簡単にいってしまえば、JRの社員が鉄道の事を知らないという事に他ならない。お金の計算はできるけど、鉄道員が鉄道そのものに対して経験がないらしい。保線関係はほとんど外注で、事故が起こっても、内部で対応する方法がないということらしい。
 たぶん、民営化にともない内部にとどめておけない人々を、外部に組織化したことの弊害ではなのいか?古い体制と新しい体制を強引に引き裂いた結果が、今、事故として現れていると店主は思っている。簡単に官から民に移行するとか言うけど、そこでおこっている現状は誰にも見えていないと言う事か・・・

2.年金、医療
  今、一番考えたくない事の筆頭。この事を真剣に考えると、本当に病気になってしまう。これが全ての不安要因を作っているとわかっていても、個人ではどうにもならない事の筆頭。対応策があるとすれば、ひたすらお金を貯める事。しかし、みんながお金を貯め始めれば、社会はますます不安定になる。オランダかデンマークか忘れたけど、国民のほとんどが貯蓄をしないという国があるという話を聞いた事がある。これは社会保障が機能している事のあかしらしい。「今あるお金で、今を楽しめればそれでいい」何ともうらやましいかぎりである。

3.環境、気候
 環境の事は、環境ホルモンという存在を知ってから(10年ぐらい前かな?)ほとんど考えないようにしている。すでに、手遅れ・・・
 気候も環境と一緒で、どうにもならない。いくら論じた所で、事態は静かに進行している。改善の方法はない。ひたすら、火の粉が自分ところにふらない事を祈るだけ。
 環境と気候は地球規模の事なので、ロハスだとか、環境に優しいだとか言われても、あほらしく聞く気にもなれない。逆に、あまり言われると、何を企んでいるんだよと思ってしまう。
 無駄とわかていても、やらなければいけない事が山積みなのが環境問題か・・・

4.格差社会
 これもあまり考えたくない。勝ち組とか負け組とか騒いでいるうちが花。格差社会の形、問題点がハッキリするのに、後、5年や10年はかかる。で、その後10年ぐらいかけて是正が行われるはず。つまり、今から最低10年から15年は格差社会は広がりはするが、是正はされないという事になる・・・(でもこれは、最良のシナリオ。こんな簡単な事では片付くワケがない。)
 これとて、今の体制がもつとの前提が必要。例えば、10年後にお金持ちが二割で、貧乏人が八割になった場合は、これは絶対に社会不安を引き起こす。これに年金問題が解決できずに傷口が広がっていれば、考えたくもない事態がおこっても不思議ではない。

5.病気
 mixiに入って、一番びっくりした事は、精神安定剤関連の薬をのんでいる人が、かなりの数にのぼる事。それに、最近では煙草をやめられない事も病気とか。また、腹の中に脂肪がたまっただけで、病気とか。やれやれである。
 最近の病気に対する概念は、ほとんど病的としか思えない。歳をとれば、身体は衰えていくのが当たり前。強いストレスを受ければ変になるのが当たり前。当たり前の事を、受け入れるのではなく、危機感をあおって、より事態を複雑にしている。

6.希望
 店主の場合、健康で植物の写真を撮れればいいし、オリジナルTeeシャツ屋のオヤジになれれば、後は何もいらない。しかし、この考え方は生産的ではない。経済原理主義者から見れば、アホの一言で片付けられてしまう。「お前さんだって、今の社会の恩恵を受けているだろう」と言われるのがオチ。しかし、今の状況は店主が望んだワケではない。店主が望む事は、「雑木林を増やしてほしい」。この事以外はあまりない。
 で、雑木林を増やすと何か経済効果があるのかと問われれば、たいして何も無いでしょうと答えるしかない。虫は増えますよと、答えるしかない。

7.予測
 「Teeシャツを作りたい」と「Teeシャツを大量に作りたい」とでは意味がまるで違う。「Teeシャツを作りたい」とはモノ作りの原点である。「Teeシャツを大量に作りたい」となると意味はまるで違う。「大量」という言葉はTeeシャツそのものとは関係がなく、別の意味を持っている。「大量」と言う事は、「結果」であって、「過程」ではない。
 今は「結果」が全てである。だが、これは本当に間違っていなてのか?「結果」を重要視するのは、それがお金が絡んでくるからである。だから「結果」を考えるあまりに過程がお留守になる。すると「姉歯的」なるものが、どんどんと出てくる。なので、法律の整備が必要になってくる。《結果》、社会はますます息苦しくなってくる。
 
 適当に書いているうちに、10年後はろくでもない世の中になりそうな気がしてきた。だから、未来の予測などしたくないと最初に書いた。今の時代はあまりにも不確定要素が多すぎるので、予測するにしても、今年の終りまでが精いっぱい。やれやれ・・・である。

投稿者 10年後・続き : 2006年5月14日 19:55

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