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2006年10月30日 月曜日
最小単位と家族、そしてヒメツルソバ
人間の最小単位は家族であると言ったのは、養老孟司である。しかし、今の人たちは個人が最小単位と思い込んでいる。
もともと人間は集団としての生き物である。人間は一人では何もできない。自分の行為を、行為として認めてもらう為には、最低限、自分とは違う人間の存在が必要となる。世の中は、全てこの連鎖によって出来上がっている。
では、集団の中の個人とは何か?実はこんな存在はあり得ないと店主は思っている。集団に対して、何かを言うとすれば、集団をはずれなければ何も言えない。
しかし、それでは(人間は一人では何もできない)ということになってしまう。だから、家族という最小単位が、受け皿が、必要になる。良い事、悪い事、すべてひっくるめて受け入れる集団が家族である。極端に言えば家族とは、家族の中から人殺しが出たとしても、盲目的にその人を守ろうとするはたらきを持っている。
何故そんな働きがあるのか、店主にも理由は判らない。しかし、こんな事ができるのは家族と言う集団だけである。
だから、親父は暴君であり、夢ばかり追いかける。でなければ、ただひたすら家族の為に働く。母親はタンスの陰でお金が・・・という。お金がなければ、母親も働く。子供はバカなので、これに反発して家をでて、新しい家族をつくる。何も間違っていない。自然な流れである。非現実と現実が混乱なく受け入れられるのが、家族という集団の特性である。
しかし、この家族と言う集団の形が「個人」と言う幻想によって壊されようとしている。こいつがいるから不幸になったと、親父が、母親が、子供が思いはじめたら、もう、ダメである。無条件で受け入れるはずの自分の集団を、最小単位としての最後の砦を自分の手で破壊してしまったら、誰も守ってくれなくなる。
家族は不条理な事でも「しょうがない」の一言で許される。これが、家族のもっと重要な機能だと、店主は思っている。だから、ある意味、家族は社会から自分達を守るシェルター的役目をもっている。
なので、家庭に社会の仕組みを持ち込むと、家庭は家庭としての役割を喪失してしまう。ギスギスした居心地の悪い空間には、安らぎも何もない。もっとも重要な心の再生機能がなくなってしまうと、店主は思っている。
父親の傲慢、母親の怠慢、子供のわがまま、どれもみんなある程度、許される。だから家族なのだと思う。これで、爺さん婆さんの「おせっかい」があれば、言う事なし。パラダイスである。
しかし、社会では、傲慢、怠惰、わがままはすべて排除の対象になり、無視される。家庭ではどうか?この事だけでも、家族という集団が懐の深い凄い集団だと言う事がわかる。それを破壊ししまえば、どうなるのか?
家族と言う集団は、社会の縮図ではない。もっと別の集団であり存在である。これは、その人間にとって世界中でひとつしかないかけがえのない集団なのに、何故、それを破壊してしまうのか?店主には理解できない・・・
何故、こんな単純な事に気が付かないのか、店主には判らない。
どこをどのように考えても、これにとって変われる集団の形はない。親が死んでからこんな事が、少しずつわかってくる店主も、バカな息子のひとりである。
先週はいろんな事があった。酷く疲れもした。でも、クタクタになりながらもぼんやりと、こんな事を考え続けていた。理由は自分でもわからない・・・ハァ、やれやれ。
(店主は、家族の形とはひとつではないと思っている。家族にはいろんな形がありえる。だから、あの家は自分から見たら変わった家族となる。どんなに変わった家族でも、これは自分の家族であると思えば、それは家族であると、店主は思っている。)
日記がとんでもなく長くなりましたが、今日の一枚はヒメツルソバ。原産地はヒマラヤらしい。はぁ〜、なんともヒマラヤは遠いな。
で、このヒメツルソバ、露地の土のある日当たりのいい隙間を見つけると、そこにコロニーを作って、身を寄せあうようにして、花を咲かせる。なんとも微笑ましいその姿は、店主の心を温かくしてくる植物です。
投稿者 店主 : 2006年10月30日 18:50
コメント
この植物は「ヒメツルソバ」と言う名前なんですね〜♪
我家の廻りの道端にもたくさん咲いていて、素朴で好きな花ですが・・・
今まで名前を知らなかったので、勝手に「コンペイトウ」と呼んでいました(笑)
投稿者 バニラ : 2006年10月30日 19:23
バニラさん
おはようございます。
>勝手に「コンペイトウ」
確かに似ていますネ。(^_^) どこかお菓子みたいで、眺めていてあきませんネ。
投稿者 店主 : 2006年10月31日 09:48