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2006年11月10日 金曜日
合目的とセスジツユムシ
ちょいと長い文章を引用させていただく。引用するのは、養老孟司の「考えるヒト」という本である。10年以上前の本である。今さらこんな事を持ち出されても迷惑だと、養老先生は渋い顔をするかも知れないが、ご勘弁を・・・
結構、眠たくなる話が多い(再度、養老先生、m(-_-;)m)が、店主、アタマが悪いので、たまにこうした本を読んで、浅知恵を仕込むようにしている。しかし、読んでもすぐに忘れるので、日記に書いておく事にした。
この本の「第六章 意識と行動」は、筋肉はどうして収縮するのか、という話からはじまる。で、主観に法則性はあるのか・生物の合目的性・試行錯誤と合目的性、そしてここに引用する「意識万能の社会」と進む。この章の最後は、意識と時間で終る。
ごうもくてき【合目的】とは、(形動) ある事柄が一定の目的にかなっているさま。
という事らしい。
読み進むうちに、あれ?これって今の話しジャン!と気が付いた。10年前は気にもならなかった話が、今は見事にフィットしているの驚いた。
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意識万能の社会
現代社会、とくに都市社会の原理が「ああすれば、こうなる」であることは、さまざまな興味深い示唆を与えてくれる。もっとも基礎的には、こうした意識的な合目的的な行動過程が、遺伝子の原理と同じだということに留意すべきである。生物の持つ二つの異なった情報系の原理の一致が成功の要件であり、実際に人間の都市社会はその結果として、これまでのところ、進化的にも大きな成功を収めたというしかない。しかし同時に、そこには別な問題が発生するであろうと予測される。そうした社会では、現代人がそうであるように、「ああすれば、こうなる」のみが、すでに述べた「現実」に転化することになるからである。そうなれば、試行錯誤は背景に退く。だからこそ危機であり、だからこそ、その危機の管理なのである。しかし、右に述べたことから明らかなように、危機こそが合目的性を生じる母体である。意識はすべてが「ああすれば、こうなる」ようにしたいのだが、それは遺伝子系という母体の上にのみ、成立している。遺伝子は間違いなく意識より広いのである。それなら、「ああすれば、こうなる」が徹底的に優先した現代社会では、無意識の反乱が生じることは、あまりにも明らかである。それが実際に生じていることを、後に議論する。
議論をわかりやすくするために、単純な例を挙げておこう。「ああすれば、こうなる」型の思考では、たとえば単純に考えるなら、「嘘をついてはいけない」という徳目が成立する。だれもが正直者である社会では、ものごとにロスがなく進行する。ゆえに社会全体のコストは、まちがいなく安くつくであろう。すくなくとも裁判所は、詐欺罪なり誣告罪なりについて、手数をかける必要もない。あらゆる商売で、相手を疑う必要がない。だから全員が正直であれば、たいへんいい社会ができるであろう。
ところがそうした社会こそ、嘘つきが発生するには理想的な社会である。なぜならそうした社会に発生する嘘つきは、はじめはすべての人に信用されるはずだからである。これはきわめて有利な立場であって、たちまち嘘つきが社会に蔓延するはずである。基本的に突然変異はランダムに生じることを理解すれば、そうした社会ではいずれ嘘つきが発生するのであって、発生していないとすれば、それはたまたま、いまはいないだけのことである。むしろそれだけ有利な条件を用意してあれば、いずれ嘘つきが発生するはずだと見ていいのである。
この例は、「ああすれば、こうなる」型の思考が、現実には万全でないことを意味している。それはある現実の平衡条件を越えられない。その条件は、意識とはまったく違う部分で決定されているのである。右の正直者を意識と見なし、嘘つきを無意識と見なせば、わかるであろう。われわれが無意識を持たなければ別だが、もし無意識が真に存在するとすれば、世界が意識万能に近づけば近づくほど、無意識の反乱には、より適した世界となるはずである。したがって、すべての都市社会に出現してくるように見える、さまざまな病理的な兆候、犯罪の多発、麻薬の蔓延、性や暴力に関わる事件の続発は、無意識の反乱とも見ることができる。もしそうなら、それを促進しているのは、じつはある種の「危機管理」型の思想だということになる。危機管理とは、どこまでいっても意識を優先しようというものだからである。》
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「考えるヒト」養老孟司・1996年筑摩書房刊・(第六章 意識と行動)よりP140〜P143を引用
続きに興味のある人は本を買って読んで下さい。たぶんまだ売っていると思います。
さて、この話を店主的に解釈すると、世の中の人みんながおまわりさんになって、規則を守れば、世の中、すぐに平和になるという事だ。しかし、そのおまわりさんが郵便局強盗をはじめたらどうすればいいの?という話。ネ!凄く今の時代とフィットしているでしよう。
必修科目の問題も同じ。みんな約束を守って勉強すれば、抜け駆けするやからが必ず出てくる。と言う事は「ああすれば、こうなる」だから、約束は意識的にやぶられているワケですかネ。それとも・・・さて、どうしますか・・・
で、今日の一枚は枯葉に止まったセスジツユムシ。もう動く気力がないのか、葉っぱになり切っているのか、カメラを近付けても、ピクリとも動かない。
もう十分に生きた、もう少しで虫生をまっとうするからほっておいてくれ、といいたげな風情が、全体に漂っている。
植物も時季がくれば枯れる。虫も季節が変われば静かに一生を終る。しごく当たり前の合目的性である。(^_^;) 虫も植物もここでお金があればとは、けっして考えない。
生きると言う事は大変ではあるが、こうした風景を見ると、生き抜いて寿命をまっとうする事は、やっぱり凄いなと思う店主である。
投稿者 店主 : 2006年11月10日 16:13