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2007年3月29日 木曜日

二つの裁判

 最近の裁判はとてもわかりにくい。普通の人間が、裁判の内容をどのように解釈すればいいのか、首をかしげてしまうことがままある。
 例えば、ホリエモンの有罪判決と、日興コーディアルのお構いなし。
 日興コーディアルは「およそ180億円の利益を水増しした」。かたやライブドアは「53億4700万円の利益を計上することによって50億3400万円の経常黒字であったとする、虚偽の有価証券報告書を関東財務局長に提出した疑いがある」となっている。
 何故、日興コーディアルは裁判にはならないのか・・・どうも釈然としない。

 で、今日の日記に書きたいと思っていた裁判は、「栃木リンチ殺人の裁判」と「栃木県鹿沼市の市立北犬飼中三年の自殺をめぐる訴訟裁判」

 いじめが原因と認定 鹿沼中3自殺『傍観も加害者』 東京新聞記事の一部を引用
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「栃木県鹿沼市で一九九九年十一月、市立北犬飼中三年臼井丈人(たけひと)君=当時(15)=が自殺したのは、学校でのいじめが原因として、両親が県と市を相手取り、約一億一千万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が二十八日、東京高裁であった。江見弘武裁判長は「継続的ないじめが行われていた九九年四月−七月末について、教員がいじめを阻止しなかった過失がある」として、市などに計二百四十万円の損害賠償を命じた一審宇都宮地裁判決を変更、県と市に計八百六十万円を支払うよう命じた。 

 訴訟では、いじめと自殺との因果関係が最大の争点となった。判決は「継続的ないじめが原因でうつ病になり、自殺の重要な契機となったことは疑いがない」と認定。さらに「理不尽な暴行を阻止せず、被害の継続を放置した級友のひきょうな態度もそれ自体がいじめで、自死に至った一つの原因。級友のすべてが加害者といえる事例だ」と踏み込んで指摘した。

 教員の過失について「加害生徒や傍観した生徒への指導、被害者の心の痛みを教える義務を怠った」と認めたが、自殺との因果関係については「二学期以降のいじめは減っており、把握するのは難しかった。一学期中のいじめが原因で自殺するとは予見できなかった」と否定した。」・・・・・続きは、下のリンクから読んで下さい。
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いじめが原因と認定 鹿沼中3自殺『傍観も加害者』−東京新聞

 栃木リンチ殺人裁判 3月29日8時0分配信 産経新聞の記事の一部を引用
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「 1審・宇都宮地裁判決は捜査怠慢と正和さん殺害の因果関係を認めたが、高裁の富越裁判長は怠慢との認定を一部にとどめ、殺害との関係は否定。「怠慢がなくても殺害を回避できた可能性は3割程度」として賠償額を減額、遺族の訴えは大きく退けられた。

 富越裁判長は、県警が正和さんの身体に危険が迫っていると認識できた時期を殺害1週間前の11年11月25日と認定。県警はこの日、やけどした正和さんの姿が銀行の防犯カメラに写っていることを、正和さんの母親から伝えられていた。

 富越裁判長は「この時点で正和さんの負傷の程度を確認し、保護することは検討できた」などと捜査怠慢を認めた。

 一方、正和さんと加害者が車で居場所を転々としていたことなどから「この時期に捜査を始めても、必ず正和さん殺害を阻止できたとは認められない」と判断。「殺害前に正和さんを発見できた可能性は3割程度だった」と結論付けた。なぜ「3割」なのか、の根拠は示していない。」・・・・・続きは、下のリンクから読んで下さい。
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栃木リンチ殺人控訴審判決 捜査怠慢で殺害否定 賠償大幅に減額−産経新聞

 中学生の自殺裁判で裁判長は、見て見ぬ振りをするのは「ひきょう」と、当時関わりを持たなかった中学生の生徒たちを断罪し、かたや栃木リンチ殺人の裁判長は、警察に助けてくれと懇願する親を無視して、捜査しなかった警察を「この時期に捜査を始めても、必ず正和さん殺害を阻止できたとは認められない」と言ったとか。
 しかも、「殺害前に正和さんを発見できた可能性は3割程度だった」・・・捜査をしなかったのに、何故、そこに可能性が出てくるのか?
 関わりを持たなかった中学生には「ひきょう」といい、懇願されてても何もしなかった警察に対して、助けられた「可能性は3割程度」という。
 この二つの裁判は何かが変である。「傍観も加害者」なら、栃木リンチ殺人の警察も加害者ということになりはしないのか。店主は心情的には、栃木リンチ殺人の警察の怠慢は犯罪だと思っているが、「傍観も加害者」というのであれば、店主も同罪ではないとは言い切れまい。
 そう言えば、今日、『<過労運転>5人死傷事故 トラックの配車係を逮捕』という記事もあった。トラックの配車係の仕事が犯罪になるなら、栃木リンチ殺人の警察官の行為も犯罪にはならないのか・・・また、中学生を自殺に追い込んだ学校、家庭、自治体、国は犯罪行為を認めたということにはならないのか・・・作為、不作為とは、何か?
 この二つの裁判を読んだとき、本当の加害者はどこにいるのかという根本が見えないような気分になるのは、店主だけなのか・・・

【関連】救わぬ級友『ひきょう』 親の教育にも警鐘−東京新聞

過労運転させた配車係逮捕=5人死傷玉突き事故−警視庁−時事通信

投稿者 店主 : 2007年3月29日 16:54

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コメント

昔は、裁判というともっと厳粛で権威があり、揺るぎのないイメージがあったのですが、
実際は、すごい人間くさい現場ですよね。
みんなが「YES」と言える、材料集めをして、同意をとりつけていく場所ってイメージがあります。
裁判官の性格に左右されるところも多いし、よくも悪くもかなり、主観が入りやすいところがあるし、
後手後手の引き算式の結論になりがちですね。

投稿者 mimi : 2007年3月31日 09:25

mimiさん
おはようございます。
>後手後手の引き算式の結論になりがち
ですネ。これは、裁判官がワルイと言うより、法律を作る国会、つまりは政治家と官僚の怠慢というしかありません。
だから、裁判官が世の中の規範にあわせようと、主観的なことを言うことになってしまう。
知っていて傍観することが罪であるとするなら、政治家、官僚はみんな有罪になるワケです。
もっと言えば、その政治家を選んだ国民も等しく罪を背負わなければならないという、変な連鎖がおこってしまう。
どうしたものか、店主にもわかりませんが、もう少し、すっきりできる方法はないのもなのですかネ・・・

投稿者 店主 : 2007年3月31日 10:25

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