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2007年5月19日 土曜日

45年前

 最近、読む本がなくなって、本棚をひっくり返していたら、本多勝一の「北海道探検記」なる文庫本が出てきた。読んだ記憶がない・・・大体がこの人の本は買った事がない。しかし面白そうなので、早速、工房の行き帰りに読みはじめた。
 この「北海道探検記」1959年から1962年ぐらいに書かれたものをまとめた紀行本である。少なくとも45年以上も前の話である。
 自然の話、開拓の話、アイヌの話、人を食った話。暴力団の話、そこで生活をするの人々の話。最初、なんだかな・・・と思っていたが、話にドンドンと引き込まれた。
 店主、実は北海道生まれである。しかし、二歳ぐらいで東京に来てしまったので、北海道の記憶はほとんど無い。
 読むうちに、こんなところで店主の親たちは暮らしていたのかと、妙な気分にもなった。
 で、「僻地とよばれる地方にある生活」という項目の「ある校長先生(日高)」の話にはかなり驚いた。
 そこでは今と同じような教育論争が45年以上も前にあったのである。とても、興味深いのでその一部を載せておきます。ちょっと長いので、ヒマな時に読んで下さい。

「北海道探検記」本多勝一・朝日新聞社(昭和59年2月20日発行・文庫本)
「僻地とよばれる地方にある生活」より「ある校長先生(日高)」P241〜P246

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 ある校長先生(日高)
「単級複式学校」ということばがある。単級とは、全校(小学校または中学校)の児童(または生徒)が一学級に編成されているクラス、複式学級とは 二学年以上が一つのクラスで勉強している場合だ。つまり、一年生も二年生もいっしょくたにして教えている学校である。都会か、あるていど人口の大きな村に育った人にほ、見当もつかない学校だ。生徒数が少ない僻地(辺地)の学校だと、一学年が三人や四人では一クラスにすることができないので、こういうことになる。
 北海道では、このような単級複式学級が、小学校で一三五六校(全体の五八バーセント)、中学校で三九九校(全体の三〇バーセント)もある(一九六一年現在)。数においても割合からみても、むろん日本一だ。僻地の多い北海道では当然だろう。こういうクラスで「理想的教育」をすることは至難のわざだが、別の意味では「こういう所でこそ」真の教育が可能かもしれない。
 文部省が一九六一年に始めた全国一斉学力テストほ、このような実情を無視した強権発動だった。僻地の多いところほど、このテストに対する抵抗が強かったのは当然である。テストの目的については、日教組の指摘するように、大資本に奉仕する人間を大量生産することが第一である点、まず疑いはない。僻地に生涯を送る人が、それなりに人間として立派に成長するためのテストであるなら、むしろテストは北海道でこそ歓迎されたであろう。だが、この学力テストの実情は、農村や漁村が大都市の植民地と化し、相対的困窮の度を加えるためにのみ力があった。
 文部省の一斉学力テストに対し、日教組は総力をあげて阻止する態勢をとったが、とくに固い括束をかためた北海道教組は、まず九月二六日の小・高校抽出テストで抽出校の八割前後を阻止することに成功し、さらに十月二六日の中学一斉テストでは、全道一三四三校の約半分が中止した。結局テストの意味はほとんどなくなってしまったので、怒った道教育委員会は先生の処分をもって対処した。まず抽出テストに関して小学校長七人に停職一カ月。
 この、停職になった小学校長の一人が、日高支庁の沙流郡平取町川向小中学校長・高橋一雄氏(当時四三)である。川向小中学校も単級複式の僻地校だから、中学が三学年一クラス、小学生は三年以下と四年以上の二クラス、合計三クラス八六人。私はこの年の一二月、札幌からジープを駆ってこの小・中学校を訪ねた。沙流川ぞいの坂道を海岸から十分ほど走らせると、ゆるやかな丘が波うつ傾斜地に出る。その高台のひとつに、小さな学校が建っていた。
 この小中学校のある川向部落は、西ベルリンみたいなところだ。平取町の中で、この部落だけが沙流川をへだてて孤立し、他の部落には舟で渡らなければならない。地理的には当然門別町に属すべきところで、一時は門別との合併話も出たが、「なにしろ火山灰地ばかりの開拓部落ではねえ」と、この縁談は門別町側からことわられた。渡し舟がひっくりかえって川向小学校の先生がおぼれ死んだこともある。町の合同運動会には生徒全員が舟で渡るので毎年ヒヤヒヤさせられたが、最近は独立運動会になったから心配がひとつ減ったそうだ。
 授業時間中にたずねると、からっぼの職員室に一人だけ“重役タイプ”の人がいる。貫禄のある大きな体格。ゆったりした動作。これが校長の高橋先生だ。すわっている机やイスが、おもちゃみたいに見える。声もおちついている——「フンマンやるかたないです」
 あまりにも悠然と語るから、ちっともフンマンやるかたないようには見えない。終始そんな調子で、処分のいきさつを淡々と話す。——
 川向小学校が抽出学力テストの指定になったことは九月一四日の新聞で知った。だがそのときは、テスト当日(九月二六日)をいれて五日間を農休にすると決めたあとだった。父兄の希望調査をまとめてこう決めた。先生たち五人も、この休み中に他の学校を見学に出かけることになっていた。ここの先生五人はみんな若く、ここが最初の任地だから、他枚の様子も知ったほうがよいと考えての計画だ。テストの五日前、高橋先生は町教育長にこう鋭明した——「第一に生徒は農休、先生は他校視察。第二にテスト自体に対しても現場として疑念をもつ」
 教育長は、テスト前日に職務命令が出ることになっていることなどを知らせたが、高橋先生は農休も先生たちの視察先行もとりやめなかった。——「じゃあ、当日はテストに調査員もいかないから」と教育長はいい、事実そのとおりになったという。つまりこの場合、生徒も先生も調査員も学校に現れず「おそらくこの日は日本一静かなテスト指定校だったでしょう」
 十月二四日。中学一斉テストを二日後にひかえて、高橋先生は他の六人の小学校長とともに処分の発令をうけた。——「だれが見たって、おどしのための処分ですよ。理由なんか問題じゃなくて、処分のための処分です」
 中学一斉テストについては、高橋先生も文部省の「理由の裏にある別の理由」に対してハッキリ反対する。「あれは都会中心です。ここのように三学年ずつひとまとめにした『ドンプリかんじょう』のような教育しか受けられない生徒では、いい点数をとれないのはわかりきってますよ。その悪い点を指導要録に記入して生徒の一生を左右するなんて……。ここには都会にない優れた面が確かにあるのに、それはあのテストの結果にはあらわれない」
 小学抽出テストに続く中学一斉テストの前、町教委はとくに頼んだそだ——「こんどはぜひ実施を……」。校長は答えた——「意地ってこともありますからね」
 混乱は十一月の停職期間になってから起きた。川向のような僻地校は校長も直接授業を担当している。高橋先生も週二十一時間もっていた。先生の補充がないまま、授業にアナができたのだ——「町教委にこのことをいったら『それは道教委がやったのだから知ったことじゃない』って。ムチャですねえ、ハハハ」
 高橋先生は低く笑いながら、自分でさしたお茶をゆっくり飲んだ。どこかの教室からピアノの音がきこえてくる。生徒の歌の伴奏だが、かなりの弾き手だ。それをほめると——「いやあ、ピアノもいいんですよ。去年やっと買いましてね。部落で半額負担してくれたんです。それまでは音楽コンクールがあるたびに他の学校へゾロゾロ出かけて、ピアノを借りて練習したんですよ。僻地校でピアノがあるところは日高じゃウチくらいかな」。校長はそういいながら目を細めた。壁にはられた「学校教育目標」の第一項——〈郷土川向を愛し、しかも川向を興すこども〉「郷土の本当のカになってくれるような青年を育てる教育でなくてはダメだと思いますね。あの学力テストは、この『目標』にも合わない」
 教育目標のとなりにある「学校経営方針」の中には、「こどもの実態と地域の特性に即した教育計画をたてる」とか、「飼育・栽培・自然観察を通じて勤労を楽しむ態度を育て……」とかいったことばがみられる。進学中心主義の、文部省の定めた一本のモノサシに合わせるべく、他人をたたきおとす競争で神経をすりへらしている都会の学校とは根本的に違うのである。こうした方針にもとづいて、大豆の草取りアルバイトを全生徒がやり、その報酬で潮干狩りに行ったことがあった。そのときの作文から——
「海へはいってアサリやヤドカリをとっていると漁師のおじさんが『コンプ拾ったらだめだよ』といった。海のそばの人はコンプをたべて生きているのかなと思った」(六年生)。「タコをみました。びっくりしました」(二年生)。「かえりのバスの中で、つるちゃんが『ちか子ちゃん、手をなめたら、しよつぱいわ』といって手をなめていました。わたしもやってみました」(四年生)。
 職員室の窓ごしに、ヤチダモやシラカンパにかこまれた校庭が見える。その向こうにひろがる未墾の原野。図書の棚をみながら、高橋先生はいった——「ここは夏になると、いろんな昆虫や動物がよく目につきますよ。ことしはこどもたちに動物図鑑か植物図鑑をぜひ買ってやりたいものだと思っています」
 中学一斉学力テストも、高橋先生はやらなかった。そしてこんどは六十二人の他の校長とともに再び停職処分にされた。高橋先生は一人で小中学両方の校長を兼ねているから、このように二重の扱いを受ける。ニ度目の処分発表のとき電話で——「感想」をきいてみると、あのおちついた声が静かに返ってきた——「どうせまたやられることは覚悟してましたから、とくに言うこともありません。ただ、停職処分による児童の教育への影響は、テストの善悪以上の重大問題なのに、そんなことを無視して処分を強行するというのは、いったいどういう教育なのかと思いますよ」
 川向のような僻地のこどもらにとって、高橋先生のような教育方針は、教育というものの本来の姿であろう。それをあくまで貫こうとする高橋先生は、勇気ある、すぐれた教育者だと思う。文部省からの指令を、現場の先生に対して何らの説得もできぬまま鞠躬如(きっきゅうじょ)として受けとり、地域社会の自主性を無視して、弱い論理と強い官僚的精神構造(すなわちコト力レ主義)とで、こうした教育者を追いたててゆく道教育委員会や道教育長は、勇気のない、気の毒な「教育関係者」である。しかし、こうした体制になることは、教育二法案以後の予想された結果であり、地域社会での教育行政官僚は、財界の意を受けた文部省が子供の多様な能力を殺してゆくための、民族的公害の末端をになう存在にすぎないのも自然の理だと思う。

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 教育とは何か、とても難しい話である。
 本多勝一の書く通り「地域社会での教育行政官僚は、財界の意を受けた文部省が子供の多様な能力を殺してゆくための、民族的公害の末端をになう存在にすぎないのも自然の理だと思う。」という話は、わかりやすいし、構造も今とこの時代と変わらないのは大差ないというのは驚きである。
 これら官僚、財界に、今だと、アメリカ資本、御用マスコミが加わって、ますますワケのわからないことになっている。
 また、学校ごとに君が代がうまく歌えたかを、評価する教育委員会も登場しはじめている。
 で、教育界は45年前と比べて本当に進歩したのか・・・? 店主には、残念ながら後退しているようにしか見えません。

投稿者 店主 : 2007年5月19日 18:12

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コメント

なんか平等社会がすすんで、(?)先生を先生と思わないほどフラットすぎる社会になってるような気がしますね~

投稿者 mimi : 2007年5月21日 22:09

mimiさん
おはようございます。
こんな長い文章を読んでいただき有り難うございます。
>なんか平等社会がすすんで、
格差が広がる中、平等とは何なのか、ますます見えづらくなっています。
経済的な進歩が格差を広げているのなら、それは進歩ではなく、後退と言った方が正しいように、店主は思っています。
だとすると、平等幻想が作り出した新しい奴隷制度、それが、現在という時代なのかな・・・
朝から、暗い話をしてごめんなさい。m(__)m

投稿者 店主 : 2007年5月22日 09:15

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