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2008年8月13日 水曜日

お店計画-その29(売る-2)

 昨日のお店計画-その28が少しわかりづらいというお話があったので、少し続きを書く。
 売ると事と、売らない事の違いを端的に言うと、主観と客観の話に似てくる。
 売らない場合は、すべてが主観的に判断することになる。とりあえずは自分と作品だけが中心となっているはずである。しかし自分の作品を売るとなった場合には、客観性という思考回路が開く。そこには買い手という存在が否応なく頭の片隅に現れる。
 この客観的と言うヤツは、はなはだややっこしい。何しろ脳みそは一つ。そこに主観性と客観性を同時に動かそうとするから、かなりの混乱がおこる。作品を作ると言うことですら面倒なの、そこに客観性を持ち込むとさらに面倒になる。
 しかも客観性という思考回路を開いた場合、作品は微妙に変化してしまう。どこが違ってくるのか?それはお客さんの反応に現れてくる。お客さんがいったん作品を買おうと思ったときから、買う為の行動がシビアになる。
 つまり、お客さんは価格という客観性と、作品という主観性の狭間で揺らめくことになる。これは別の角度で考えてみると、ギャラリーという空間が活性化していると言う事になる。お客さんと作家さんが一つの作品をめぐって、出会いと言う冒険をはじめる。
 なので、批評も要求もかなりキツくなってくる。これは店主的にはいいコトだと思っている。理由は他者との関係性の密度がますからである。自分が考えもしなかったことを言ってもらえる。
 逆に売らない場合は、この関係性が薄くなる。作品はとりあえず横に置いて、世間話をして終る傾向が強い。

 ちょっと話の角度を変えてみる。今度は作家さんと店主の関係性である。
 例えば作品が持ち込まれた場合、店主はその作品を主観ではなく、客観的に見ようとする。実はこれもかなり混乱する作業である。主観的にはあまり興味がなくても、客観的には売れる作品もかなりあるからである。
 なので店主の主観など、かなり怪しいものでしかない。その意味において、この話もいくらか信憑性、客観性に欠ける可能性は大である。
 それでも、作家さんの作品を見る場合、店主は主観より客観を優先することになる。ところが、作家さんが客観性を優先させると、作品はつまらなくなる傾向が出て来る。
 わかりやすい例として、作家さんがこの作品は「Teeシャツに合うよ」と、もってきた時にその現象がよくおこる。
 この場合、作家さんは自分の作品より「Teeシャツに合う」という客観性で自分の作品を選ぶ。すると、不思議な事にその作家さんの個性が弱くなった作品がまま出て来る。これは実に興味深い現象である。
 作家さんの個性を潰してまで、Teeシャツは売りたくない・・・と言うのが、この場合の店主の主観となる。ここではお客さんと作家さんとの関係性とは少し異なるが、売ることと売らないこと、もしくは主観と客観のせめぎ合いが、店主の中でも必然的におこる。売らない作品の場合、このせめぎ合いはとても小さくなる。

 実にややっこしい。何て面倒な事を言うヤツだと思う方もいるだろう。だが、いろいろと混乱が起こるとしても、人に見せる場合はある意味、客観性を持ち込んだ方が、次の展開につなげやすいと言うのは、矛盾するようだが間違いがなさそうである。
 だから、作品は売った方がいいと店主は考えている。売れるか売れないかは、次の次元の話となる。そこいら辺の事はまだ経験が足りないので、もう少し修行してから書く事にする。

 ところで、これにも例外がある可能性がある。それは圧倒的な主観の持ち主、表現者は、そんな客観性を軽く飛び越えてしまうかもしれないと言う事。しかし、この予測も例外である以上、この事を誰にでも当てはめて考えるのは、無謀であり、お店の存続を危うくする。例外をベースにしては確実に間違う・・・と言うのが店主の客観である。
 でも、圧倒的な表現者にも出会ってみたいというのは、ギャラリーを運営する者としては、当たり前の夢なのかもしれない。しかし、それは夢もしくは店主の妄想でしかないと、店主の客観性はつぶやく・・・店主も実は、圧倒的な主観の持ち主に出会った事はない。ないと言う事は、出会ってもわからない可能性が大きい・・・

投稿者 店主 : 2008年8月13日 19:25

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