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2009年7月14日 火曜日

記憶

 店主、戸川純が大好きだった。この事を先日の「蛹化の女」を日記に書くまでは、完全に忘れていた。記憶とは不思議なものである。
 戸川純は1961年3月31日生まれ。かなりいい年齢になっているはず。しかし、店主の中では戸川純のイメージは1985年頃で止まっている。

 ウィキペディアによると・・・・・・・

 笑っていいとも!「テレフォンショッキング」のコーナーにゲスト出演した際、芸能界入りの動機として「小さい頃いじめられっ子だったので、(出世して)見返してやろうと思った」と語った。『宝島』誌におけるいしかわじゅんとの対談によると、戸川は子供のころ大変醜く、「太った山下達郎」と呼ばれていたという。いじめの理由を問うと、加害者たちは「ブスだからだよ」と笑いながら答えたとのこと。
 中高生の頃は女優志望であこがれは李香蘭とクレオパトラだった。また高校時代、毎日屋上で、女優となるための発声練習や腹筋運動などをかかさずやっていた。
 厳格な家庭で高校生までは「日曜日は外出禁止」であった。大学に入学した1979年から「日曜日も外出可能」となり、映画を見るため出かけていた日比谷公園で、たまたま、後にゲルニカでコンビを組む上野耕路が所属していたパンク・バンド「8 1/2」のライブを見てファンとなった。「8 1/2」の追っかけをしているうちに、メンバーと知人となり、彼らが出入りしていた渋谷の伝説的ロック・カフェ「NYLON100%」に入り浸るようになる。戸川は女優志望でミュージシャンになるつもりはなかったが、「NYLON100%」で彼女がよく歌っていた李香蘭の「蘇州夜曲」を上野が気に入り、ゲルニカが結成されることになった。

 ・・・・・・・・以上、ウィキペディアから

 NYLON100%か・・・また、別の記憶が蘇ってくる。

 で、特に好きな歌が「蛹化の女」ではなく、1985年に発表された極東慰安唱歌。それもB面。何故かB面の記憶しかない。A面の記憶はどこに消えたのか・・・
 
 戸川純 極東慰安唱歌 B1 極東花嫁
 


 戸川純 極東慰安唱歌 B2 ある晴れた日

 戸川純 極東慰安唱歌 B3 極東慰安唱歌
 
 戸川純 極東慰安唱歌 B4 勅使河原美加の半生

 戸川純 極東慰安唱歌 B5 夢見る約束


 それから、明日はお店は定休日。店主もバニラさんもお休みします。(⌒-⌒)

投稿者 店主 : 2009年7月14日 18:49

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