« パレスチナの写真 | メイン | アサガオ »
2009年9月 6日 日曜日
西原理恵子という表現
ある番組で西原理恵子のインタビューを見た。西原理恵子が喋っているのを見たのは、これが初めてである。しかも生放送だったので、差別用語の連発。これが妙にリアリティーがあって、面白かった。
最近では彼女の原作の映画「女の子ものがたり」が話題を呼んでいる。人間と何?人間でいるには何が必要?と、問いかける彼女の言葉は辛らつだが、ある意味共感もできた。
ところで先日、ニュースで、11歳の男の子に、父親と元妻が万引きさせたと言う記事が載っていた。自分の子供に万引きを強要する親を人間と呼べるのか。とても自分と同じ人間とは思えない所業である。
しかし、この親も人間として扱われ、裁判を受けることになるだろう。しかし、裁判を受けたからと言って、この親は人間に戻れるのだろうか・・・
ここら辺のコトを西原 理恵子は鋭くついてくる。人間は自分で人間であろうと努力しなければ人間にはなれない・・・と、言うことらしい。
今の時代の豊かさは、人間らしくつつましく生きるにはあまりに過酷である。何かヘマをすると(ヘマをしなくても首を切られる世の中だが)コトの是非には関係なく、すぐに「自己責任」という言葉で「すまき」にされ、下層社会という深い川に沈められてしまう。
その辛らつな問いかけを、西原理恵子はギャグマンガという手法を使って、逆説に表現してしまう。しかもギャグマンガだからという理由で容認され、金持ちの有識者(そんな人がいるのか店主にはわからないが)は、安心して「面白い」と評価を下すらしい。彼女の戦略は、実に見事である。
逆説という仕法は、誇張の度合いによって、大きな誤解と批難を覚悟しなければならない側面をもつ。逆説表現を少しでも間違うと、本人にも思いもよらないところから攻撃を受けることになる。
なので、逆説表現をする人はかなり信念を持って、創作活動にのぞんでいるように店主には思える。西原理恵子のインタビューはまさに強固な信念を持っているように見えた。(これは彼女を支持すると言う意味ではない。)
では、同じ内容をギャグマンガではなく、劇画風にリアルに表現した場合、どうなるのか。店主には評価はされないように思う。
人間の心は複雑で、ギャグではなくリアルな場合、もしかしたら貴方も気付かずに、他人を「すまき」にして突き落としている側かも知れませんよ・・・と、言った瞬間に、その本人が「すまき」にされ突き落とされるような気がする。
で、あれはギャグマンガだから許されると言うワケのわからないコトを、言われるような気がする。
何でこんなコトを長々と書いているのかと言うと、西原理恵子がいっていたようなコトを描いていた漫画家を、一人思い出したからである。
西原 理恵子の場合はギャグマンガだが、その人は劇画という形をとって描いていた。名前を宮谷一彦という。作風はまったく違うが、毒(逆説)の部分はよく似ている。でも違いはある。
さて、その違いとは何か・・・それは、店主の店主の秘宝展 Vol-2でご自分でお確かめ下さい。m(__)m
投稿者 店主 : 2009年9月 6日 23:03
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.vitamin-tee.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1944