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2009年9月26日 土曜日

何もできない自分

 宮谷一彦の作品に「悲しき天使」という短編がある。1972年ぐらいに描かれている。

 ビルの広告塔に棲んでいる天使のルイルイとハトの物語。都会のビルの屋上でルイルイとハトは出会い、友達になる。都会暮らしが長いのか、ハトは妙な咳をしていた。
 夕方になるとそのハトはルイルイのところに来ては、いろんな話をした。その彼が突然、ルイルイのところにこなくなる。
 心配になったルイルイはいろいろなところを探しまわるが、見つからない。
 ルイルイがあきらめた頃に、そのハトは病気になってルイルイのもとを訪れる。
 ルイルイはそのハトの病気を治そうと、自分の天使のリングをお金に変えて、暖かい海に連れて行こうとした。
 アドバルーンを改良した乗り物を持ってハトのもとに戻ると、そのハトは死んでいた。

 この作品は宮谷一彦の作品の中では特異な作品である。何か大切なものを見つけても何もできない自分。相手の苦しみを感じても、何もできない自分。熱病のような優しさと言ったらいいのか、クルーな絶望と言ったらいいのか、宮谷一彦の作品にいつも相反するものが、絵の奥に見え隠れしている。

 この優しさが、何故か他の作品はでは、暴力的になり、性的になり、破壊的になる。不思議な男である。
 宮谷一彦は感性の人であると店主は考えている。これはもしかしたら、宮谷一彦には苦痛だったのかもしれない。優しくあろうとする自分と、思想的な自分が反目しながら、気がつくと過激な破壊衝動にかられ、それを作品に叩き付けてしまう。
 妙な男である。心が震えるような優しさに包まれたかと思うと、次の作品では、それをことごとく破壊してしまう。気がつくと、そうした作品はいつも物語を描ききれずに終ってしまう。
 それでも、宮谷一彦の作品には、強い魅力があるのは、「何もできない自分」という優しい感性があるからだろうと、店主は思っている。

 今の作家さんで言うと、井上雄彦『バガボンド』に似ていなくもない。しかし、バガボンドは安心して読めるが、宮谷一彦の場合は油断をすると、グサッと読み手を刺してしまう。「何もできない自分」と無類の優しさが、突然、凶器に変わるのである。
 
 「悲しき天使」の表紙
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投稿者 店主 : 2009年9月26日 19:23

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