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2010年1月18日 月曜日
THE HOUSE OF THE RISING SUN
記憶とは切ない。消そうとしても消せない。浅川マキの訃報を知ったとき、ある強烈な記憶が甦った。
それはYという小学校時代の同級生のこと。Yとは小学校時代はほとんど付き合いはなかったが、彼には強烈な印象を持っている。
彼は小学校時代、昼の給食の時間に勝手に放送室へもぐり込み、何とグループサウンズのレコードをかけ、校内にその音楽を流したのだ。この頃のグループサウンズは不良の代名詞である。
そしてYはご丁寧にも「すてきなギターの音色をお楽しみください」とナレーションまで入れたのである。1964年頃のコトだと思う。
Yはかなり粗暴な男だったが、根は優しく、人のことを気にかける男だった。ある時、ヤクザと喧嘩をして、足を折られたりした。そして、慰謝料をせしめながらも、生活苦に喘ぐヤクザの生活を、本気で心配するという妙な一面を持ち合わせていた。
そのYと再会したのは17歳ぐらいころだろうか。彼は高校にはいかず、仕事をしていたと思う。新聞配達、ガソリンスタンドの店員などをしながら飯を食っていた。
Yはロックやフォークが好きで、その頃の彼の日のあたらない古びた三畳のアパートに、店主はよく遊びにいった。Yはギターがうまかった。店主もギターが多少は弾けたので、いろいろな曲を二人して演奏して遊んだ。
特に気に入っていたのが浅川マキのTHE HOUSE OF THE RISING SUN。この曲を二人で必死に練習した。
Yがリードギターで、店主がサイドギターとボーカル。今思うと赤面ものだが、その頃の二人にとっては、濃密で大切な時間がそこにあった。
そして、二十五歳をすぎる頃から次第に距離ができて、会うこともなくなった。
五年ほど前のある日、どうやって知ったのか店主のもとにYの親族から電話があり、彼が自殺したことを知らされた。
そのときは、どこか遠い世界のことのように思っていたYの死が、浅川マキの死と重なって甦ってきた。
疎遠になってからYはどんな生活をしていたのか・・・店主には想像もつかない。いや本当はYの生活を想像がすることが、店主には怖かったのかもしれない。だから必死にYの死を忘れようとしていたのかもしれない。
しかし浅川マキのTHE HOUSE OF THE RISING SUNは、あの狭く暗い三畳の部屋を思い出させ、Yの笑顔を鮮明に思い出させた。今頃になってYの死に涙が止まらなくなった。
・・・Yよ、元気にしているか、そっちに朝日楼の浅川マキさんが行ったぞ。もし会えたらサインをもらっておいてくれ・・・
浅川マキ 朝日楼 THE HOUSE OF THE RISING SUN
浅川マキ 赤い橋
投稿者 店主 : 2010年1月18日 17:40
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