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2011年7月11日 月曜日

論理と直感

 ツイッターで論理と直感について書いたら、それに付随する問題がころころと出てきてしまった。
 誰も意識しているワケではないのに、似たような話が続いてしまった。

 論理とは決まった情報や法律などをさす。意識と言い換えてもいいかも。これは時間軸で言うと過去の話。しかし、過去の話なのに、論理は未来に関わってくる。当たり前か・・・でも、未来は論理では決定されない。最近で一番良い例が、原発事故。論理では安全だが、何故か事故を起こしてしまった。
 これは未来はわからないと言うコトの現れ。でも、直感的に言えば、そんな大きいなエネルギーを、人は本当にコントロールできるのかと、直感的に感じてしまう。
 つまり、直感は未来を感じる唯一の感覚。こいつを無視して意識や論理をかざすのが、政治&経済。だから法(論理)の影響力を心配するのは、論理ではなく、直感となる。本当に大丈夫か・・・と。

 例えば人々の意識を変えたいとして、意識的に考えたことが、他者の意識を変えることができるのか・・・これは、どのような内容に関わらず、まず無理。今の政治を見ていれば、何故無理なのかは明白。
 意識的にできるのは仕組みまで。仕組みは仕組み以上の事はできない。しかし、仕組みは怖い。例えば国民投票。これは仕組みである。なのに内容は軍隊を持つという投票にも、脱原発にも使える。とても怖い仕組みである。
 だから論理を信じすぎるな・・・という結論になる。
 
 ではどうするのか・・・アートの場合は、作られた作品が人の意識を変えることができるような気がする。ただし論理的な説明はできない。これは店主の経験的な直感。特に七転八倒して作ってくる作品は、人を魅了する。
 ツイッターでは「ギャラリーをやっていると、論理的なものがどんどんと排除されて行く。そこには出会いと感情的な高揚がおこる。何故、それがおこるのか、とてもではないが、論理的説明はできない。そんなコトが毎日、ギャラリーではおこっている。人間は論理だけでは生きられないと、ギャラリーの白い空間は言う。」と、書いた。正しいかどうかはわからない。わからないが、本人は論理的でないところが気に入っている。
 最後に・・・論理を無視しろと言っているのではない。心配とか不安は、ある種の直感力を持っている。その直感を論理的に根拠がないと簡単に否定するのではなく、感じた直感を、もう少し信じてもいいのではなのかと、思う今日この頃です。(^_^;

投稿者 店主 : 2011年7月11日 21:51