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2021年7月14日 水曜日

オニユリ

 二十代後半ぐらいから百貨店の装飾の仕事をしていた。特にやりたいワケでもなかったが、手先が器用だとお金になった。一緒にやっていた連中も、ミュージシャンや劇団員、アーティスト、学生など、いろいろな人種がいたけど、ようはプータローの集団。二、三日働いてあとは好きな事をして一週間を生き延びる。そんな手前勝手な連中が次々と現れては消えていた。今となればもう付き合いはない。

 で、それが起こったのは1989年1月7日、昭和天皇が崩御。

 そのニュースを聞いたプータロー達が誰に言われたのでもなく、自らの意志で百貨店の装飾室に集まってきた。今考えると実に不思議な事だった。天皇制からはもっとも遠い存在と思っていた連中が、自主的に集まったのである。昭和という時代の最後に、自分たちが生きた時代の雰囲気を深呼吸した瞬間であった。

 それが天皇制と直接かかわった最後の記憶。あれから30年以上の時間が流れた。その頃のプータローも生きていればいい年齢になっているだろう。

 最近、世間様の噂話に東京オリンピックとコロナ禍をめぐって、天皇陛下の懸念をめぐつて「拝察」という事件があったらしい。それを今の総理大臣は無視を決め込んだとか。考えてみれば総理大臣もその昔に出会ったプータロー達と同年代である。
 その昔のプータロー達がまともだったのか、今の総理大臣がまともなのか?考え込んでしまった。どんな環境がこんなにも人間を変えてしまったのか?と考えると、主たる原因は「お金」か。
 その上、今の天皇制は観光資源とも言い放ったとか。呆れるばかりである。まぁ今の日本をよくよく見れば、当然の成り行きのようにも思える。選挙の投票率が50%ぐらいでは、こうなるのが当然の帰結か・・・

 何でこんな事を書いたのかと言えば、2017年9月16日に何故か皇居に行った。何で行ったのかはさっぱり覚えていないが、ほとんど東京で暮らしてきたのに、皇居に行ったのはそれが初めてだった。
 幾つかの門を抜け、砂利道を歩いていくと、何かのムカゴを見つけた。良い事なのか悪い事なのか知らないが、そのムカゴを自宅に持ち帰って植木鉢に放り込んだ。
 翌年、ムカゴは簡単に芽を出したが、花はなかなか咲かない。それが今年四年目にして花をつけた。コロナ禍の中、立派なオニユリの花を咲かせた。
 その花を見詰めるうちに、不意に昭和天皇の崩御の時の事を思い出したのだ。時代は否応なく変転を続ける。

 
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《 オニユリの花・石塚善雄 》

 

投稿者 店主 : 2021年7月14日 16:23