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2009年8月13日 木曜日

劇画

 劇画という言葉は今はもう使われなくなった。店主のように、マンガ=劇画という世代にとって、時代はドンドンと変わっていくのだから仕方がないと思っても、この言葉が消えて行くのは、やはり寂しい。
 しかし、今の若い人がコミックという世界に憧れをもつように、店主にとっては劇画という言葉の響きは、今もって色あせることがない。
 それだけ強烈な憧れをもっていたいたのだから、当然、その当時に劇画という世界をもっと知りたいと願うのは当然の流れである。
 実は店主、小池一夫劇画村塾の一期生でもあった。(劇画村塾に関しては、詳しくは下記のページを見て下さい)

《ウィキペディア・劇画村塾 》

 この一期生には、高橋留美子・山本貴嗣・工藤かずや・あかねこか・狩撫麻礼・たなか亜希夫・さくまあきら等凄いメンバーがゴロゴロといた。
 店主が一番記憶に残っているのが高橋留美子。彼女の積極性には舌をまいた。実に熱心で、課題の他に自分の作品を、これでもかと描いてもってきていたように記憶している。
 こんな凄いメンバーの中で、店主が残れる可能性はほとんどないと悟るのにたいして時間はかからなかった。まぁ、そんなことはどうでもいい。
 当然、劇画に強い執着をもつ連中が集まっているのだから、熱い議論がおこる。中でも、宮谷一彦に対する評価はかなり面白いものであった。
 小池一夫塾頭は、漫画家というプロを育てたいという意志をもっていたので、宮谷の描く独自な世界観と、気ままな作品発表の仕方には、あまり好感をもっていなかったように思えた。
 それでも宮谷一彦がまともに描き続ければ、確実に劇画という頂点に立っただろうことは、この当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの小池一夫塾頭でさえ否定はしなかった。
 この時代に劇画に少しでも関わっていれば、宮谷一彦の作品を否定できる人間はほとんどいなかったのではないのか。
 それほど独自の劇画を宮谷一彦という人間は描き続けていた。しかし、時代は冷酷である。いつしか時代は流れ、劇画という言葉も使われなくなり、マンガは違う価値観を求めて動いていった。
 そして先日の【ガロ・虫干し展】で、少ないそう層であるが、宮谷一彦がいまだに若い人たちに読み継がれていることを知った。フ〜〜〜〜ム!である。
 で、店主の秘宝展第二弾をやるかどうか、今、迷っている・・・
 ちなみに店主が宮谷一彦の作品の中で一番好きだったのは「青いとかげの街」である。

投稿者 店主 : 2009年8月13日 11:32

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