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2021年8月25日 水曜日

養老先生、病院へ行く

 この本は図書館で借りた。予約したのは六月四日。その時は前に23人ほどが並んでいた。それから待つ事二ヶ月半。ようやく自分の番が回ってきたが、借りる直前で後ろには20人以上の人の予約が入っていた。病気モノと言う事もあってか、養老先生、大人気である。

 自分は健康モノとか病院モノはほとんど読まないが、養老先生の本であれば読まないわけにはいかない。内容はいつもの養老節がほとんど。

 で、今回の『養老先生、病院へ行く』を読んで、養老先生がひとつだけラッキーだったのは、入院直前の容態。かなりボロボロの状態で入院した事。この状態だと、うまく事がはこんで退院した時に、病気は良くなったと言う『感覚』になれる。ここがポイント。

 この本に登場する中川恵一先生の言葉を借りれば、癌などの早期治療は未来のリスクを減らせると言う事と、今現在のボロボロに悪くなった状況を改善すると言う事とは根本に違う。

 意識はめんどくさい事に、過去、現在、未来と考えられるが、それが正しいとは限らない?と言う感覚がある。

 自分ごとではあるが、連れ合いが去年、大きな手術をした。入院は40日ほどになった。入院する前はハタから見れば、どこも悪くは見えないが、未来に面倒な事になるかもしれないと言う事で手術をした。

 それから一年近くになるが、体力や活動面で手術前の状態には遠く及ばない。この場合は意識は未来のリスクは減ったと思うのだが、感覚はどこが良くなったのかほとんど理解できていない。そこにはこの矛盾する日常を持て余している自分がいるのが現実である。だから『養老先生、病院へ行く』を読んでみたかった。

 感覚と意識の関係性は実にめんどくさいが、自分の経験を踏まえて、養老孟司先生と中川恵一先生の違いが読み解けた様な気分になった。そして病で病院に行くと良くも悪くも病院というシステムに取り込まれる。特に高齢者であれば、必然的にシステムからの逃げ場を失う。そうした事に感覚は変だと思っても、それは老人のワガママだと意識は言う。それは良い事なのかわからない。

 それに自分がいつ死ぬのか何て事は、死んでも意識にはわからないのである。


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投稿者 店主 : 2021年8月25日 16:19